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自由奔放な才能の現在形

ぎゃらりい たねからでは2月26日(水)から3月8日(日)まで、中西雄一展「あるがままに...。」を開催しています。この個展や作家さんの魅力を少しご紹介していきましょう。


中西先生の作品を拝見すると、常識にとらわれない発想や技法にうれしい驚きがあるのが魅力のひとつです。この個展のタイトルのとおり「あるがままに...。」に生きることは、約束事やしがらみの多い現代社会では、ある意味、自由奔放に見えてしまうかも知れません。でも先生ご本人とお話してみると、それは素朴で飾らない先生の素の人柄から出ていることに気づきかされます。


ギャラリーBで展開している本格的なインスタレーションは、ぎゃらりい たねからでは初めての試みです。先生と一緒に写っているのは、かつてオリーブだった木です。先生が大切に育てて世話をしていましたが、地質に恵まれず、残念ながら実を付けることなく枯れてしまいました。それらを乾燥させたのち、力強く伸びた枝に陶器の実がなって、見る角度によって様々な表情を見せるオブジェとして活かされています。


このように、先生は捨てられるものや役目を終えたものに目がいってしまい、作品として活かしたくなるとお話しされます。そうした発想は再生やリサイクルなどといった意味合いではなく、先生の“もの”への深い愛情から来ていると感じます。それは“もの”だけでなく、人へも広がっているようです。


インスタレーションは陶器と木のオブジェを中心に構成されていますが、最初に目に飛び込むのはうず高く積まれたもみ殻です。最近の子どもは「もみ」自体がなんであるか知らない子がいて、人が生きる営みと自然との間に乖離があると先生は嘆くような表情をされます。さらに新型肺炎に話がおよぶと、10歳未満で罹患した子は学校でいじめられはしないだろうか、と心配されます。自由奔放に見えて、挑戦的で独りよがりな感じがしない、何か親しみやすさがあるのは、そうした先生のものや人への愛情が作品からにじみ出ているからではないでしょうか。


このもみ殻は陶器の作品の表面にも活かされています。陶器のオブジェの独特の表面はもみ殻を付着させ、そのまま窯に入れて焼き上げてできるものです。もみ殻はかつて梱包のクッション材などにも利用されましたが、今は稲刈りが終わった田で燃やされるだけです。カタチはのこらないが、捨てられるものを活かしたいという先生の心が見えます。


ギャラリーAでは、アースカラーとも言うべき自然な色合いの陶器の作品を観ることができます。その風合いを出すために、ここでも活かされているものがあります。先生は、自宅では薪ストーブを使われていますが、その灰も捨てずに釉薬と混ぜて活かされています。元々陶芸では釉薬を作る際に、釉原料を溶かすために灰を混ぜますが、この灰も燃やした木の種類によって、反応が変わって、それぞれ個性のある味わいがでるそうです。


この他にもご注目いただきたいのは、表面のこの独特の“断面”です。通常、陶芸家は大きな土の塊から、作品に必要なだけの土を切り出すためにワイヤーを使います。誰もこのワイヤーを創作に使うことは考えませんでした。しかし、この表面の造形は、土の塊を直接ワイヤーで切り、えぐるようにしてできた“断面”なのです。頭の中にできたイメージを、ワイヤーを巧みに操り、息を止めて一気にえぐり出すそうです。この断面からは、そうした緊張感が伝わってきます。


こちらの作品も“足”をつくり出すためにワイヤーでえぐり出されています。ギャラリーAの作品は器や一輪挿し、お皿などとして使えるでしょうが、作家本人は作品に役目を与えてしまうと終わりが見えるのが嫌だ、ぜひ自由に使って欲しいとお話しされます。また、ギャラリーBのインスタレーションも、観る方によって自由に楽しんで欲しいとのことです。


自由奔放な魅力を持った中西先生の作品ですが、先生自身は、これからまだまだいろんなものに触発されて、作るものや技法も変わっていくと思うとお話しされます。したがって、この個展で表現されているのはあくまでも中西先生の現在の姿であり、そのライブ感を表現するために、今回ぎゃらりい たねから初となったインスタレーションという手法はまったく必然だったかも知れないと考えています。


自由奔放な才能の現在形をご覧に、ぜひ、お越しください。心よりお待ちしています。


詳しい開催情報はこちらをご覧ください。



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