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さくら。

桜の季節になりました。桜の木の下で、その美しさを愛でる花見。今年の春は、猛威をふるっている新型コロナウィルスで、いつもなら賑わうはずの川辺や公園がどこか物寂しい、そんな状態だったかもしれません。

さて、今回は、日本古来の文化、花見を生んだ「桜」について触れたいと思います。



桜は春に淡いピンク色の花をつけて咲きます。3月半ば以降から、九州や四国南部で咲き始め、関東、東北と、徐々に北上していきます。満開の桜は多くの人の目を楽しませる一方、約一週間程で散ってしまいます。「花霞」や「桜雲」などの言葉は、川沿いに並ぶ桜や山や青空を背景に咲く桜を遠目に見て、それらが霞や雲に見える様子を言います。そんな豊潤なピンクのある風景がずっと見れたらいいのに、という気持ちは今も昔も変わらないのでしょう。  

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし  

(世の中に桜がなかったら春でもこころ穏やかでいられたのに)

―在原業平朝臣『古今和歌集』

満開の桜、麗しく咲く桜でも、盛りを過ぎれば潔くすぐに散ってしまう桜、その在りようは「諸行無常」という感覚にたとえられ、古くから詠われてきました。桜はその命が儚いからこそ美しい、ということでしょうか、和歌には花そのものよりも、散りゆく花びらの美しさを詠んだものが多いようです。心の動きは、極めて主観的なものでしょう。桜がなければ、心が穏やかだったのに、という言い回しは、その裏にある気持ちを想像させます。言葉にできない程、身にしみる桜の美しさ、どこから湧いてくるのか、愛でたく思わずにいられない心、それらを表現していると思います。桜がなければ、と仮定するような、控えめな表現でしか、言い表せない感動は、日本人だけが持っているものかもしれません。平安時代に、「花」というと「桜」を指すようになりました。桜が日本人の心、春を感じる心を形成してきたのでしょう。

可憐なピンク色を見せ、人の心を惹き寄せる桜。花を咲かせ、儚く散っていく姿を詠む歌は多くあるけれど、桜が花を咲かせるまでについて、知っている人は、ひょっとしたら少ないかもしれません。美しい花の裏にどんな営みがあるのでしょうか。



桜は春に咲きますが、その蕾は前年の夏から作り始められるのを、皆さん、知っていますか。出来上がった蕾が開くのは、そう、翌年の春なのです。蕾を作るのは夏なのに、それが花開くのは翌年の春。秋と冬にまたがる、大変長い準備期間を経て、桜は花を咲かせるのです。夏から秋になるにつれ、昼が短く夜が長くなり始めると、蕾は一旦成長を止め、〝眠り”につきます。この間に蕾の姿は冬を越すための越冬芽に変化しているのです。冬の寒さに耐えるため硬い芽が蕾を覆うのです(=休眠芽)。そして冬が訪れ、本格的な寒さを感じると、〝眠り”が打ち破られます。これは「休眠打破」と言って、越冬芽の内部で、これから訪れるだろう、初春の暖かさを感じる準備をするのです。冬の寒さで蕾(=越冬芽)が眠りから目覚めた結果、春に一斉に花が咲くのです。蕾(=越冬芽)がもし冬に温室で過ごしていたら、春になっても花は咲かないでしょう。


冬の寒さがしばらくあることが、桜の蕾(=越冬芽)が春先の気温の上昇を感じるのに必要な条件であり、花を咲かせるのに必要なのです。春が暖かいから花咲くのではなく、冬が寒かったから、暖かさに気がついて桜の木々は花開くのです。枝先の花をつけるのに、半年以上かけて準備していると思うと、華やかな装いとは対照的に地味で、気長に、そして確かに存在している命があることを知ります。


花見は日本人がつくった文化であり、「桜」を愛でる精神性は平安時代から連綿と培われてきました。一方で桜の木々は世界中にあり、その営みはどれも似ているでしょう。多くの桜が花を咲かせるために越冬芽をつくり、寒さにさらされ、芽を破る瞬間を待つのです。見えないけれど、普遍性を持ち、実態が確かにある、植物の科学が存在します。

今、世界中が不安に陥っている新型コロナウイルス。正体が分からず、対処法が見えぬまま、ただ世界全土に存在していることは確かです。桜前線を見るよりも、コロナ前線があったら、見てみたいと思いますが、まだしばらくこの見えない敵にできる限りの対策をするしかありません。今年は花見を自粛した人は多いと思います。いつも、桜は自身で「咲く」のを待っています。私たちも、きっと確かな希望が訪れるんだと、地道に、頑なにそして気長に、信じていきましょう。

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