ぎゃらりい たねからでは8月2日(金)までSMALL WORKS EXHIBITION 絵画・彫刻・工芸 小作品展を開催中です。ここに初登場となった5名の作家さんの中から、彫刻家の鈴木茂先生と陶芸家の松田路子先生の作品を紹介したいと思います。
鈴木先生はこれまで石とガラス、大理石と黒大理石など、質感や色が違う素材を組み合わせた作品を多く発表されています。今回出品いただいた作品は光学ガラスのみを素材としながらも、マットな面とクリアな面の組み合わせが美しく、全体的にどっしりとした一体感があります。
特に目を引かれるのはこのエッジの部分です。ふたつの異なる質感の境目として、くっきりしつつも、ほのかな丸みがある点に先生のこだわりが感じられます。おそらくこの境目を仕上げるには、想像を超える時間と労力がかけられていると思います。もしかしたら、この小品サイズだからこそ、ここまでエネルギーを注げるのかも知れません。
この「境目」の概念は、現代アートにおいてしばしば中心テーマに据えられます。陽と陰、美しさと醜さ、裕福と貧困、国境線などの一種の“線引き”は、あって当然と受け取りがちですが、実は人間の勝手な価値観から生まれたもので現実には存在しません。特に現代人は、こうした境目がないと不安になったり、自分の現在位置を捉えられなくなってしまったと考えることもできます。こうした境目を意図的に取り除き、違う心の景色を見せようという試みは美術館などでよく見かけます。
また、仏教が伝来した6世紀ごろから“天国と地獄”という概念が定着していきましたが、それ以前の日本人はいたるところに八百万の神々がいると考え、神様と人間の境目はあいまいでした。さらに言えば、植物などの身近な自然と人間の境目もあまり意識されず、同じ“生きるもの”として共生していたのではないか?と植物好きとしては思います。
鈴木先生の作品は境目がはっきりしているので、境目をつくりたがる人間の意識のありように目を向かせてくれる気がします。ただ、このように語ると境目をつくることが悪いように聞こえてしまいますが、決してそうではありません。むしろ、アートの世界では作品の魅力につながることもあります。
境目は人が生み出すものだけに人間臭い、超然としていない、そういう良さがあります。
松田先生は器を作るというより、土で造形的な作品を生み出すような考え方をお持ちです。いったん作った複数の器の形を一度バラバラにしてしまい、再び質感の違うピースをつなぎ合わせて作品を作るという手法を取られているようです。それゆえあまり見られない、境目にも見えるつなぎ目ができており、独特の風合いが生まれています。
松田先生にはこの他にも植木鉢の用途を持った器を出品いただいていますが、まるで山中にある岩がそのまま置かれたような存在感がありつつ、どこか哲学的ですらあり、人間臭さが伝わってきます。
鈴木先生と松田先生がどのような意図で境目を表現されているのか、直接聞いたわけではないので実際のところは分かりません。あるいは、聞かないほうがいろんな想像や考えを自由にめぐらすことができて楽しいのかも知れません。
ただひとつ言えることは、作家が表現したいものとその作家ならではの手法は一対のものだということです。自分の描きたいイメージを深め、忠実に再現しようとすると表現手法はおのずとその作家だけのものが生まれるはずです。
そのあたりのことを考えながら作品を観るのも小品・・・いや、アートの楽しみのひとつだと思います。独自の表現というと、他に出品いただいている作家さんもそれぞれに個性的な手法をお持ちです。ぜひ、ギャラリーにお越しいただいて、お楽しみください。
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