幾重にも衣をまとうように葉を繁らせて、プランターに収まる葉牡丹。
葉付きが良く、どの株も恰幅がいい。正月に門松と一緒に飾るのも、納得がいく。
花キャベツとも呼ばれる葉牡丹は中央部が色づいていなければ、キャベツに見えるだろう。紫に色づく葉牡丹。丸い葉が重なりあっている。葉脈まできっちりと見える、外側の緑の葉とコントラストを作る紫色は一体どこから来たのだろう。内側にいくほど、濃さを増す様に、深みのある紫だ。キャベツの縁どりに薔薇が咲いた、そんなふうにも見える。どうやら
寒さから身を守るために葉牡丹が自ら作り出した紫色らしい。陽にあたる時間が短くなり、土も乾燥する冬、光合成をして得られるエネルギーが減ると、葉の中に糖分を溜めこんで、寒さを乗り切るのだ。私たち人間が筋肉や肝臓に糖質を蓄えて生きているのと同じように、植物の体も自らの生命を絶やさないように、できているのだ。葉を紫色に染める正体はアントシアニンという色素で、それは葉の中が糖分で満たされている時、発現する。紫の花を守るように囲む緑の葉は寒くなる前に成長を遂げたのだろう。完全な緑を呈している。不思議だ。紫に染まっている葉も、外側の緑の葉と同じ茎に端を発し、同じように枝分かれした葉脈を持つのだ。提灯の灯のようにそっと目を惹くキャベツの上の薔薇。紫の葉を伝う脈の中は紫色の液体が走っているのだろうか。糖質を含む養分が紫の液体になってジューッと駆け巡るのを想像してしまう。糖分とアントシアニンが反応してできた紫色。鮮やかだが辛抱強く静かに体温を維持しているのだ。葉を緑色にするのをやめたのは春に花を咲かせるためのエネルギーを取っておくためだ。葉牡丹の紫色の葉はいったい何を包みこんでいるのだろう。
その期待が届くのだろう。春になると中央部が盛り上がり始め、茎が伸び始める。とうが立つ、のだ。とうが立つ、というと聞こえは良くないが、植物の生きるさまを観るならば、それは、地面近くで眠らせていたエネルギーを体中に吹き込んだ後の晴れ姿と言えるだろう。とうのてっぺんには、冬の間、何枚もの葉に大事にされ続けた結果できた蕾がつくのだ。手厚い愛情をかけられて揺籠から顔を出す赤ん坊のようだ。やがてそれは楚々とした黄色の花を咲かせるのだ。元気な花姿は、幾重もの葉が、糖分を外に逃さないようにする、そんな、地味で、時間をかけた営みの中から誕生する。花言葉にある「祝福」。そこかしこで卒業と入学が祝われる春。それは桜の花が散るように早く過ぎ去ってく出来事だが、それを迎えるまでに多くの手厚い愛情がかけられているのだ。正月から初春にかけて、花壇や寄せ植え、いたる所で紫と緑のコントラストをつくっている葉牡丹。足元を照らしてくれる手厚い愛情を忘れないでいたいと思う今日この頃だ。
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